障がい者のご両親、ご兄弟、ご家族のご苦労は言葉で簡単には言い表せません。しかし、少しでも何かのお役に立てればと考え、私の体験を少しお伝えさせて頂きます。
そして、障がい者支援の活動(情報配信など)もブログ(SNS)や投稿で配信して行きたいと思いますので、多くの方へ障がい者のご家族の気持ちを少しでもご理解頂き、支援活動の輪が広がる事を願っています。
ダウン症と知った日
それは、夫婦とも予想だにしていなかった事だった。
次男は3,944gと大きな赤ちゃんだった。無事に産まれたと思った矢先、呼吸障害で産声を上げず、大きな病院へ緊急搬送。
2週間原因が分からず、担当の先生から「念の為、染色体の検査もしましょう」と提案があり、検査した。
数日後、通常21番目の染色体は2本だが、見せられた写真は3本。※写真
診断結果は、、、、、
「21トリソミー(ダウン症)」
だった。。。。
私と妻は言葉が出ず、家に帰って泣いた。。。
両親や兄弟に報告するのが、怖かったが皆優しく受け止めてくれた。両親から「皆で育てて行こう」と言われた時には涙が止まらなかった。
子供の呼吸障害の原因は判明したがその後も酸素飽和度の数値が上がらず、NICU(新生児集中治療室)の中で様々な機械のコードにつながれた状態が1カ月続いた。
祝 退院!
退院してからも、各種手続き、保育所問題(障がい者を受け入れてくれる所を探す)など、障がい者のご家族は色々と大変という事に気づかされた。
多くの方に障がい者の情報を頂き、ネットや本でダウン症などの事も調べた。
長男も弟を可愛がってくれたが、まだ長男も幼かったので弟が障がい児という事は伝えなかった。
※小学高学年の時に伝えたが、言わなくても既に気付いていた様子だった。
その後は順調に生活していけると考えていたが、その考えは甘かった。
退院してから、毎年の様にRSウイルスにかかってしまい、その都度酸素飽和度が90%にも届かず、病院の入退院が続いた。
入院中の昼は義理の母が看病してくれて、夜は妻と私が交代で病院の狭い子供用のベッドで寝泊まりし、病院と会社の往復が10日間続いた時もあった。
その間、長男は妻の両親に預かってもらい、保育所への送り迎え、ご飯・お風呂全て対応してもらった。
妻も仕事をしていたので大変だったと思うし、義理の両親の協力がなかったらとても無理だった。
そして子供は入退院を繰り返し、少しずつだが身体も強くなって、元気になった。
しかし、次男はダウン症の中でも発達が遅い方で、知的障害、身体障害は最も重症の診断だった。
※一人でしっかり歩ける様になったのは、つい最近の7歳。言葉はまだ話せない。
また、心臓にも孔が開いており(心房中隔欠損)、病院での定期健診(血液検査、エコー、レントゲン)が必要だった。
※現在、心臓の孔は塞がっている。
その頃、私は営業として新規販路開拓、新商品提案で必死だった。
関東や西日本全域へ出張し、1カ月で1週間程度しか家に帰らない事もあり、長男や妻、妻のご両親に大きな負担をかけた。※写真は出張先での写真
帰宅も毎日夜遅く、長男の小学校、次男の保育所への対応は妻や義理の両親に任せっきりで、家庭の事は全て妻にやってもらっていた。
出張中に妻から電話がかかり、次男が痙攣をおこし救急車で夜間病院に搬送された時にも、何もできなかった。家族の為に仕事をしているのに、家族がつらい時に何もできない父親で良いのか悩んだ。
長男からも出張中にメールで寂しい事が分かったので、土日が休みの時にはサッカーや釣りに連れて行ってできるだけ長男との時間を作る様に心掛けた。
しかし、その頃私は身体的、精神的にも限界だった。家の中ではイライラして子供(長男・次男)にあたってしまっていた。
仕事でも頭が回らずに、言いたい言葉が出なくなった。このままではいけないと妻に相談し、脳神経外科でMRIの診察をしてもらった結果、パニック障害と診断された。今思えば、うつ病の一歩手前だった。しかし、先生に仕事や家庭の悩みを相談したら、気持ちが晴れて行ったのを今でも鮮明に覚えている。
また、次男のリハビリ(理学・作業・言語)が増え、妻の対応できなく無くなった事で私が会社を休んで連れて行く事が増えた。そのお陰で、身体を休める日ができ子供との時間も増えて、精神的にもだんだん落ち着く様になっていった。
これは、神様が「休みなさい」と言ってくれていると真剣に思ったほどだった。
今まで多くの方(家族、病院関係、職場、学校関係など)に助けて頂き、今の家族があると思っている。
大変 感謝している。
私が本厄を迎えた40歳の時、残りの人生半分と考えた時に今のままでは、子供の将来(長男・次男)や家族の為にならないと考え、会社を辞める決心をした。
私が多くの方にお世話になったので、今度は私が障がい者の支援活動などを通じて多くの方へ恩返しができればと考えている。
私の活動や情報発信などで少しでも誰かの「より良い人生の架け橋へ」なれれば、
幸せだ。
~ご紹介~
私がお世話になっている 「みさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家 近藤先生」の活動のご紹介です。是非、ユーチューブをご覧ください。
パタカラプラス
発語や嚥下などの口腔機能訓練であるパタカラ体操に、日常生活能力向上を目指した全身体操をプラスし、それを評価する方法をプラスすることで、ダウン症児・者をはじめハンディを負われた方々の日常生活に豊かさをプラスする。このような目的で作成された音楽を「パタカラプラス」と命名しました(企画立案:近藤達郎、バンビの会(染色体障害児・者を支える会))。
※引用:パタカラプラスユーチューブチャンネルより https://www.youtube.com/channel/UCFKI_HkeQPz27g7uIP5BGeQ/featured
その他、情報発信をして行きたいと考えておりますので、宜しくお願い致します。